- 震災当時の窯の状況から教えていただけますか?
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はい。当日は、アトリエの方で作業していたんですけど、
これまでに感じたことのない揺れを体感しまして。
作品は棚から落ちるし、建物も揺れて非常に怖い思いをしました。
すかさず登り窯を見に行ったところ、
窯全体が傾いて、レンガ自体にもひびが入っていたうえ、
基礎の部分から土台が大きくずれていました。
直感的に、「ああ、この窯はもうダメだな」と。 - もう使えないと思ったんですか?
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構造的にムリでしたね。
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「器の絆プロジェクト」の提案があったときは、
どのようにお感じでしたか? -
うーん、これは話していいのか迷うところなんですが。
正直、最初にそのお話をいただいたときは、
申し訳ないんですが嘘っぽい話に聞こえてしまったんですね(笑)。
それには理由がありまして。
こんな田舎の小さな焼き物屋の、たかだか40年しかやっていないところに、
企業から応援をしたいなんて話が来るものなんだろうかと。
地震という怖い経験をしたばかりでしたので、
心の引っ掛かりというか、素直に受け入れられないところがあって、
最初はお断りしようと思っていたんです。 - 一度は断ろうと。それを払拭したものは何だったのでしょう?
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AGF®さんの、東北の窯元を応援したいという真摯な気持ち、ですね。
実際に青森に来られて、どういう想いでプロジェクトを立ち上げたのかを、
面と向かってうかがい、じゃあこちらからも協力させてください
ということでお願いをしました。 - その後、どのような応援を受けるかを話し合われたのですか?
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そうですね。当初、壊れた登り窯を解体して、
電気窯18や灯油窯で代用する方法もありますよと提案されたんですが、
実は登り窯は、先代である私の父が手作りでこしらえた窯でして。
いろんな想いが込められた窯を壊すのはしのびなくて、
登り窯の修復をお願いしました。 - 実際の修復作業はどのように行われたのですか?
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地元の窯元の仲間が協力してくれました。
私も含めて登り窯を造るのは初めてだったので、すべてが手探り。
2,000個のレンガを一つひとつ積み上げながら、4日で完成予定のところ
倍の8日もかかり、窯の長さも以前の半分になりましたが、
無事に仕上がりました。 -
修復作業を協力してくださった窯元の皆さんとも、
より絆が深まったのでは。 -
本当にその通りです。ふだんは窯元同士ってライバルみたいな存在ですよね。
それが、修復作業を通してその垣根を越えられたと感じています。