AGF® × 東北の窯元 “絆” がつなぐ、被災地の今とこれからAGF® × 東北の窯元 “絆” がつなぐ、被災地の今とこれから

東北地方を襲った未曾有の大震災から7年。AGF®が復興応援し続けている4人の窯元さんたちが、未来に目を向けて活動を広げています。器の絆プロジェクトを通じて、彼らは何を感じ、そして今、どんな思い・展望を抱いているのだろうか…窯元さんの“今”を取材しました。今回は、青森県 南部名久井焼見学院窯 砂庭大門さんのインタビューをお届けします。東北地方を襲った未曾有の大震災から7年。AGF®が復興応援し続けている4人の窯元さんたちが、未来に目を向けて活動を広げています。器の絆プロジェクトを通じて、彼らは何を感じ、そして今、どんな思い・展望を抱いているのだろうか…窯元さんの“今”を取材しました。今回は、青森県 南部名久井焼見学院窯 砂庭大門さんのインタビューをお届けします。

名久井焼見学院窯 インタビューイメージ

Vol.1 青森県 南部名久井焼見学院窯 砂庭 大門さんVol.1 青森県 南部名久井焼見学院窯 砂庭 大門さん

最初は戸惑いながら、でも想いを知って、受け入れました

名久井焼見学院窯 インタビューイメージ

震災当時の窯の状況から教えていただけますか?
砂庭

はい。当日は、アトリエの方で作業していたんですけど、
これまでに感じたことのない揺れを体感しまして。
作品は棚から落ちるし、建物も揺れて非常に怖い思いをしました。
すかさず登り窯を見に行ったところ、
窯全体が傾いて、レンガ自体にもひびが入っていたうえ、
基礎の部分から土台が大きくずれていました。
直感的に、「ああ、この窯はもうダメだな」と。

もう使えないと思ったんですか?
砂庭

構造的にムリでしたね。

「器の絆プロジェクト」の提案があったときは、
どのようにお感じでしたか?
砂庭

うーん、これは話していいのか迷うところなんですが。
正直、最初にそのお話をいただいたときは、
申し訳ないんですが嘘っぽい話に聞こえてしまったんですね(笑)。
それには理由がありまして。
こんな田舎の小さな焼き物屋の、たかだか40年しかやっていないところに、
企業から応援をしたいなんて話が来るものなんだろうかと。
地震という怖い経験をしたばかりでしたので、
心の引っ掛かりというか、素直に受け入れられないところがあって、
最初はお断りしようと思っていたんです。

一度は断ろうと。それを払拭したものは何だったのでしょう?
砂庭

AGF®さんの、東北の窯元を応援したいという真摯な気持ち、ですね。
実際に青森に来られて、どういう想いでプロジェクトを立ち上げたのかを、
面と向かってうかがい、じゃあこちらからも協力させてください
ということでお願いをしました。

その後、どのような応援を受けるかを話し合われたのですか?
砂庭

そうですね。当初、壊れた登り窯を解体して、
電気窯18や灯油窯で代用する方法もありますよと提案されたんですが、
実は登り窯は、先代である私の父が手作りでこしらえた窯でして。
いろんな想いが込められた窯を壊すのはしのびなくて、
登り窯の修復をお願いしました。

実際の修復作業はどのように行われたのですか?
砂庭

地元の窯元の仲間が協力してくれました。
私も含めて登り窯を造るのは初めてだったので、すべてが手探り。
2,000個のレンガを一つひとつ積み上げながら、4日で完成予定のところ
倍の8日もかかり、窯の長さも以前の半分になりましたが、
無事に仕上がりました。

窯のアーチ部分の写真
横から見た登り窯のアーチ部分。
修復により、長さは以前の半分になってしまったという。
修復作業を協力してくださった窯元の皆さんとも、
より絆が深まったのでは。
砂庭

本当にその通りです。ふだんは窯元同士ってライバルみたいな存在ですよね。
それが、修復作業を通してその垣根を越えられたと感じています。

砂庭 大門さんのインタビュー風景

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